みき大網白里に住んで5年になるんだけど、最近知ってびっくりしたことがあって。明治のころ、ここが千葉県の前身「宮谷県」の県庁所在地だったんだって!



え、大網白里が県庁所在地だったんですか?全然知らなかったです!



そうなの!しかもその舞台が、大網の街なかに静かに佇む「法流山 本國寺(ほんごくじ)」という日蓮宗のお寺なんだよね。境内は千葉県指定史跡にもなってて、御首題集めの方やウォーキング好きの方にも人気のスポットなんだよ。



歴史的な場所なんですね!御首題もいただけるんですか?ぜひ詳しく教えてほしいです。
- 大網白里がかつて千葉県の県庁所在地だった「宮谷県」の歴史
- 千葉県指定史跡「宮谷県庁跡」本國寺の境内の見どころ
- 御首題の受付情報と訪問前の確認ポイント
- 大網駅から歩く「県政発祥の地めぐり」ウォーキングコース
大網白里が千葉県庁所在地だった


本國寺を語るうえで外せないのが「宮谷県」という歴史的事実です。明治の初め、今の大網白里市にあたるこの地が千葉県政の揺籃地だったと知ると、境内に足を踏み入れたときの感慨がぐっと変わるかもしれません。
- わずか2年9ヶ月で消えた「宮谷県」の成り立ち
- 本國寺が県庁庁舎として選ばれた理由
- 宮谷県から現在の千葉県が生まれるまでの変遷
宮谷県とは何か?2年9ヶ月の短命県
宮谷県が生まれたのは明治2年(1869年)2月のことです。前年の明治元年12月、安房上総知県事として着任した柴山典(しばやまてん)が本國寺に知県事役所を設置したのが始まりでした。
柴山典は久留米藩士出身で、1822年生まれ。この地に赴任して「宮谷県」のもとで行政を動かした初代知県事です。管轄範囲は上総・安房を中心に下総(匝瑳・海上・香取三郡)、さらには常陸の一部にも及ぶ旧天領・旗本領約37万石という広さでした。
ところが明治4年(1871年)11月、廃藩置県により宮谷県は木更津県へ統合されます。県の存続はわずか2年9ヶ月。短命ではあっても、千葉県政の原点として記憶されている県です。
本堂と山門が県庁庁舎になった理由
柴山典が本國寺を県庁として選んだのは、境内に大きな建物が揃っていたからだと考えられています。当時は宮谷檀林(後述)の施設が境内に広がっており、庁舎として使える建物が多かったのでしょう。
資料によると、明治元年の役所設置にあたって本堂と学寮六坊を残し、その他の諸堂がすべて庁舎として転用されたとのことです。山門も玄関も県庁の一部として使われていました。
注目すべきは、本堂だけが転用を免れている点です。当時の本堂は大講堂として機能しており、そのまま残されました。県庁時代の痕跡を今に伝える場所として、境内全体が千葉県指定史跡になっています。
本國寺が県庁に選ばれたポイント
- 宮谷檀林の施設が境内に広がり、庁舎として使える建物が多かった
- 本堂と学寮六坊を残し、その他の諸堂がすべて庁舎として転用された
- 山門・玄関も県庁の一部として活用された
千葉県が生まれるまでの流れ
宮谷県から現在の千葉県になるまでの変遷は、大まかに以下のような流れです。
- 宮谷県(明治2年〜4年):本國寺が県庁。大網白里が県庁所在地
- 木更津県(明治4年〜):廃藩置県により宮谷県が統合される
- 千葉県(明治6年):木更津県と印旛県が統合されて千葉県が誕生
現在の「千葉県」という形になったのは明治6年(1873年)のことです。大網白里の本國寺から始まった千葉県政の歩みが、約4年かけて現在の形に落ち着いたということになります。
千葉県指定史跡の境内を歩く


本國寺の境内は1954年(昭和29年)12月21日に千葉県指定史跡「宮谷県庁跡」として指定されています。静かで落ち着いた雰囲気の境内には、歴史を感じさせる見どころがいくつかあります。
- 重厚な黒い山門が放つ歴史の存在感
- 「千葉縣史蹟宮谷縣廳跡」石碑の場所と意味
- 地元で信仰される雨乞祖師・木造日蓮聖人坐像
黒い山門が放つ重厚な存在感
本國寺を訪れた方の口コミでよく目にするのが、山門の印象についてのコメントです。「山門の黒い色合いがシックでかっこいい」「重厚な門構えが印象的、歴史の重みを感じる」といった声が多く見られます。
黒く塗られた太い柱と梁が特徴の山門は、県庁庁舎としても使われていた建物です。その重厚な佇まいは、歴史の重みと日蓮宗寺院としての格を同時に感じさせます。
宮谷県の時代にここをくぐった役人たちの姿を思い浮かべると、少しタイムスリップしたような気分になれるかもしれません。
「千葉縣史蹟宮谷縣廳跡」石碑の場所
境内には「千葉縣史蹟宮谷縣廳跡」と刻まれた石碑が建てられています。千葉県指定史跡としての位置づけを示す碑で、宮谷県庁跡であることをはっきりと伝えてくれます。
1954年の指定から70年以上が経ちます。石碑を前にすると「大網白里が県庁所在地だったとは知らなかった」と感じる方も多いようで、歴史好きの方には「必見」と評されることもあるようです。
雨乞祖師・木造日蓮聖人坐像とは
境内には千葉県指定有形文化財の木造日蓮聖人坐像も安置されています。制作年代は鎌倉時代末から室町時代にかけてとみられており、長い歴史を持つ像です。
この像は地元で「雨乞祖師」として信仰されてきました。日照りが続くと雨を降らせてくれると伝えられ、地域の農民たちにとって心の拠り所だったのでしょう。境内には雨乞いの報恩を記した碑が2基残っており、地元との深いつながりが感じられます。
学僧800名が集った宮谷檀林の記憶


本國寺の歴史を語るとき、宮谷県庁跡と並んでもうひとつ欠かせないのが「宮谷檀林(みやざくだんりん)」です。江戸時代、この寺院は日蓮門下の一大学問拠点でもありました。
- 檀林とはどんな場所か、宮谷檀林の規模と歴史
- 大網白里が日蓮門下の一大学問エリアだった背景
宮谷檀林ってどんな場所だったか
檀林とは、仏教の僧侶を養成するための学問所です。現代でいえば大学や専門学校に相当する機関といえばわかりやすいかもしれません。
宮谷檀林が開設されたのは1622年(元和8年)、10世住職・日純による創設です。2代将軍・徳川秀忠の許しを得て開かれた、正式な学問の場でした。
その規模は相当なものだったようです。講堂を中心に東西南北の谷に学舎や寮が展開し、一切経を備えた本格的な教育機関として機能していたとのこと。盛んな時期には400〜800名もの学僧が学んでいたと伝えられています。
宮谷檀林の主な特徴をまとめると以下のとおりです。
- 開設は1622年(元和8年)、10世住職・日純による創設
- 2代将軍・徳川秀忠の許しを得て開かれた正式な学問の場
- 東西南北の谷に学舎や寮が展開し、一切経を備えた本格的な教育機関
- 盛んな時期には400〜800名もの学僧が学んでいた
大網白里が日蓮門下の学問拠点だった
宮谷檀林だけでなく、大網白里市内には日蓮門下の檀林が複数存在していました。細草檀林(遠霑寺)と小西檀林(正法寺)もともに市内にあり、近隣の野呂檀林(長南町)と合わせて、この地域一帯が日蓮門下の一大学問エリアを形成していたと考えられます。
「大網白里=にぎやかな商業地」というイメージとはかなり異なる、学問と信仰の歴史が重なった土地だったんですね。遠霑寺・正法寺については別記事で詳しく取り上げる予定ですので、興味のある方はそちらもあわせてご覧ください。
御首題をいただく前に確認したいこと


本國寺は日蓮宗の寺院ですので、御朱印ではなく御首題(ごしゅだい)をいただくことができます。訪問前に確認しておきたいポイントをまとめておきます。
- 御首題の受付場所(庫裡)と対応の流れ
- 御首題と御朱印の違い・日蓮宗独自の特徴
- 訪問前に電話確認をすすめる理由
庫裡の場所と受付の流れ
御首題の受付は、本堂に向かって右手にある庫裡(くり)で行っているとのことです。庫裡は寺院の台所・住居にあたる建物で、住職や寺族の方が対応してくださいます。
ただし、書置き対応になる場合もあるとのことです。直書きを希望する場合は、事前に電話で確認してから訪問するのが確実だと思います。
御首題をいただく際の注意点をまとめました。
- 住職不在の場合は授与できないケースがある
- 書置き対応のみになる場合もある
- 事前確認なしに直書きを期待して訪問すると空振りになる可能性がある
御首題と御朱印はどう違うか
神社や他宗派の寺院では「御朱印」と呼ぶことが多いですが、日蓮宗では「御首題(ごしゅだい)」と呼びます。記される内容も独自で、「南無妙法蓮華経」のお題目が中央に大きく書かれるのが特徴です。
御朱印集めをされている方の中でも、日蓮宗寺院では「御首題帳」を別に用意している方が多いようです。初めて日蓮宗の寺院を訪れる際は、この違いを頭に入れておくとスムーズかもしれません。
大網白里の神社・お寺の全体情報はこちらの記事にまとめています。
大網白里の神社・お寺|御朱印・お宮参り・七五三の選び方まとめ
大網駅から歩く「県政発祥の地めぐり」


本國寺は、大網白里市公式のウォーキングマップ「県政発祥の地めぐり」のコース上にあります。歴史スポットをつなぐルートが設定されており、半日程度のウォーキングを楽しみながら大網の歴史を体感できます。
- コースの動線・所要時間のポイント
- 柴山典の署名が残る宮谷八幡宮
- 国登録有形文化財・旧千葉銀行大網支店
コースのおおまかな動線と所要時間
コースの出発点は旧大網駅(駅跡公園)です。かつてのスイッチバック駅で、腕木式信号機が今も残っているとのこと。ここから宮谷八幡宮→本國寺→市街地(宿場の面影)→旧千葉銀行大網支店という順に歩きます。
大網駅から本國寺まで徒歩約15分程度ですので、コース全体を通しても徒歩15分圏内にほぼ収まるコンパクトな動線です。歴史散歩が目的なら、半日あれば十分楽しめると思います。
「県政発祥の地めぐり」コースで立ち寄る主なスポットはこちらです。
- 旧大網駅(駅跡公園):腕木式信号機が残るスイッチバック駅跡
- 宮谷八幡宮:初代知県事・柴山典の署名が残る額がある
- 本國寺:千葉県指定史跡「宮谷県庁跡」
- 旧千葉銀行大網支店:国登録有形文化財・大正モダン建築
柴山典の署名が残る宮谷八幡宮
コース途中に立ち寄る宮谷八幡宮は、宮谷県庁跡とセットで訪れたいスポットです。拝殿裏に初代知県事・柴山典の署名が残る額があるとのこと。
行政のトップが地域の神社に額を奉納する——そんな明治初期の風習を今に伝えるものとして、歴史好きの方にとっては見逃せないポイントだと思います。本國寺とあわせて、ぜひ立ち寄ってみてください。
国登録有形文化財・旧千葉銀行大網支店
コースの締めくくりは旧千葉銀行大網支店です。大正10年頃に建てられたタイル張りの外観が特徴的な建物で、国登録有形文化財に指定されています。
宮谷県の時代から半世紀後に建てられた銀行建築を眺めながら、大網の街の移り変わりを感じるのも、このコースの魅力のひとつかもしれません。明治の歴史から大正モダンまで、一度のウォーキングでたどれるのはなかなか贅沢だと思います。
縣神社(あがたじんじゃ)も大網白里の歴史を感じさせる神社仏閣のひとつです。境内の天然記念物の大杉や御朱印など、本國寺とあわせて気になる方はこちらの記事もどうぞ。
縣神社(あがたじんじゃ)|御朱印・天然記念物の大杉・歴史・アクセス
本國寺の基本情報とアクセス


参拝の計画を立てる前に、基本情報をまとめて確認しておきましょう。御首題を希望する方は特に、事前の電話確認をおすすめします。
- 本國寺の所在地・電話番号・駐車場情報
- 電車・車それぞれのアクセス方法
- 参拝前に確認しておきたい注意点
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式名称 | 法流山 本國寺(ほんごくじ) |
| 宗派 | 日蓮宗 |
| 住所 | 〒299-3243 千葉県大網白里市大網3002 |
| 電話 | 0475-72-0362 |
| 駐車場 | あり(無料) |
電車・車でのアクセス方法
電車でお越しの場合は、JR外房線・東金線「大網駅」から徒歩約15分です。「県政発祥の地めぐり」ウォーキングコースのルート上にあるので、電車+徒歩の組み合わせが自然な訪問スタイルだと思います。
車の場合は、圏央道「大網白里スマートIC」から約10分です。境内に無料駐車場があるので、車でも安心して訪問できます。
参拝前に知っておきたい注意点
本國寺で御首題をいただく際に知っておきたいのが、住職不在の場合は授与できないケースがあるという点です。せっかく足を運んでいただけなかった、というのは残念ですよね。
確実に御首題をいただきたい方は、訪問前に0475-72-0362へ電話で確認してから出かけることをおすすめします。書置き対応の可否も含めて確認しておくと安心です。
駐車場・アクセス・文化財の公開状況など、最新情報は公式サイトや電話でご確認ください。訪れるたびに「大網白里がかつて県庁所在地だった」という事実が少し身近になる、そんな寺院だと思います。
- 明治2年(1869年)から2年9ヶ月だけ存在した「宮谷県」の県庁が本國寺に置かれ、大網白里が千葉県政の出発点だった
- 境内は1954年に千葉県指定史跡「宮谷県庁跡」に指定。黒い山門・石碑・木造日蓮聖人坐像など見どころが多い
- 日蓮宗寺院では御朱印ではなく「御首題」をいただく。直書き希望の場合は事前に0475-72-0362へ電話確認を
- 大網駅から徒歩圏内の「県政発祥の地めぐり」コースで、宮谷八幡宮・旧千葉銀行大網支店とあわせて半日の歴史散歩が楽しめる









